現在の寺の場所には、かつて茅葺きの小屋があり、そこには紙で作られた三人の王爷と数体の土製の虎将軍が安置されていた。当時、この地域では奇妙な出来事が続発し、人々は正気を失ったり、原因不明の病にかかったりしていた。人々は恐怖に震え、どうすることもできず、王爷に平安と加護を祈った。翌日、神社の前を通りかかった漁師が、火柱が空に届くのを目にし、中を覗くと、突然王爷に憑依され、鎮魂の儀式を行った。その後、地域は平穏を取り戻した。信仰者が線香を捧げていると、香炉の中で「薛」という文字が浮かび上がり、人々はその神像を「薛府王爷」と祀るようになった。
鹿港永安宮は、鹿港の発展の歴史と深く結びついた古い神社である。歴史的な創建については、同宮の主神である薛府王爷は、康熙23年に鹿港水師が設置された後に招かれ、康熙37年に邱姓の水師が故郷から神像を迎え、守護神として祀ったことから、長い歴史を持つ。副祭神の曾大老は実在の人物で、県誌にその武勲が記されている。曾大老とは、乾隆60年の陳周全の反乱で戦死した水師把総・曾紹龍であり、のちに祀られ、世襲の称号を与えられ、正四品の位を授けられ、忠烈祠に祀られた。現在祀られている神像は、正四品の公式の衣冠をまとっている。曾大老はもともと武生であったが、詩文に優れ、私塾を開いて村人に教え、科挙で人材を推薦し、鹿港の文運を興し、人々の心を得た。そのため、祀られるようになって以来、曾大老は文昌君のように、子どもの学業成就を願う信仰の対象にもなっている。