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銃櫃天宝堂

2020-03-19
886-4-92861215
南投縣魚池鄉銃櫃巷32號
道後盆地から21号線を追って水連庄に向かうと、道の右側に非常に目立つ太子爺(ドウツイヤ)の巨像が見られる。その場所は無登村(ムトウソン)の天寶堂である。“巨砲(チョンギョウ)”(ガンキャビネット)という地名の由来について、地元の伝説には2つの説がある。第1の説は、清朝時代に原始民族が石山里古道(シーシャーリューコード)の土地公馬鞍嶺(トースンレン)付近を通過する旅人たちを襲撃・殺害していたため、清政府が民兵を配置し、物資補給を目的としてこの地に基地を築いたという。第2の説は、台湾が日本の治下に移った後、太陽月湖(台湾の日月潭)の周辺住民が日本の進攻を防ぐために地元の土地公馬鞍嶺付近の高地を要塞化し、その名に因んで“槍櫃”(ガンキャビネット)となったという。天寶堂の廟は日本殖民時代(ニホンコロンシアジダイ)に建設され、三大主祀神には関帝(カンテイ)、呂洞賓(リュウドウヒン)、灶王爷爺(ザオワンギャ)が祀られている。この廟は規模が大変広く、昭和60年(1985年)秋季に太子爷を分身して安置したところ、その神威が繰り返し現われ、神明が童乩を仰じて信徒たちに背後に太子爷の像を約20.7フィート(6丈2尺7寸、1フィート=0.3048メートル)もの高さで建立し、地元住民の奇蹟的な保護に感謝するよう命じた。このため太子爺像が地元の目印となった。
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