大甲区鎮瀾宮は、清雍正8年(西暦1730年)に湄洲天后祖廟から媽祖像を迎えて台湾に来たとされています。その後、香火が鼎盛した雍正10年(西暦1732年)に、大甲区大甲里に小祠を建て、乾隆35年(西暦1770年)に小祠を「天后宮」に改築。乾隆52年(西暦1787年)に再建され、台湾淡水廳水獻に載るようになりました。以降、大甲の士紳が何度も再建を主導し、「鎮瀾宮」と改名しました。毎年農曆三月初めに行われる「遶境進香」の場面は壮大で、追随する信者は無数に、多くの廟宇が媽祖を迎える祝賀イベントを行っています。鎮瀾宮の媽祖遶境進香は何百年も続いており、主に神像の霊気を高めるためです。進香の人数が膨大で、その規模の壮観さは、海内外の学術界や大衆メディアから注目と研究を受けています。
鎮瀾宮の建築は、前殿、後殿、南北殿、南北室、鐘鼓楼などから構成され、人物・花鳥・走獸などの石刻・木彫刻が盛りだくさんです。精緻に彫られ、色彩は鮮やかです。内正殿には媽祖が祀られ、南殿には貞節媽祖が祀られています。廟前の龍柱は、精細で厚みのある石刻の彫刻です。屋根には色とりどりの人物・花鳥・走獸の剪粘が施され、檐下には金彩の大きな装飾があり、正殿の神龕周囲はさらに華麗で、層層重ねられた装飾と金彩が輝き、華麗で荘厳な雰囲気を放っています。鎮瀾宮は何度か修復を経て、殿宇建築がより安定し壮大になりました。時代の変遷で一部の古物は保存できませんでしたが、乾隆・光緒年間の貴重な匾額はまだ残っており、歴史の軌跡を証言しています。