「一滴記念家屋」という名前の由来
この名前は、建築主・水上覚治の実子であり、日本の「一滴(いってき)」の禅の精神を生涯にわたって継承し、一滴の資源も無駄にせず大切に使い切った水上勉氏を記念するものです。また、無償の労働力で支えたボランティアの善意のしずくが一つに集まり、国境を越える移築を成し遂げたことも讃えています。それゆえ「一滴記念家屋」と名づけられました。
情熱と無償の越境移築
日本・福井県大飯町の木造民家(築1915年頃)を移築した淡水一滴記念家屋は、阪神大震災と台湾921大地震を経て結ばれた友好の証として、2005年に解体され、5年間・3,000キロの旅を経て2009年12月に再建されました。日台交流の拠点であると同時に、国境を越えたまちづくりの精神的砦でもあります。内部には「水上勉ライブラリー」と「陳舜臣ライブラリー」を設け、両文化の現代文学対話を育んでいます。
百年の民家語彙を味わう
小説家の父・水上覚治が建てたこの家は、600本を超える梁や柱を一切の釘を使わず、20種類以上の継手で接合した日本木造建築の極致です。中央の大黒柱は入口から3本目で最も長く、最も多くの梁を受け止める「家長の象徴」。その頂には棟札(赤布に包まれた木札)が鎮座し、棟上げの際に半分に切られた草鞋が一対で安置され「ここに根を張り、もう動かぬ」という意味を込めています。興味深く、感慨深い。