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霧鹿砲台

2024-12-31
886-8-9935053
台東縣海端鄉聯絡道路957號
南港公路の曲がりくねった道を進み、霧鹿村へと向かい、指定されたトライルをたどると、深い山林に隠された霧鹿砲台にたどり着く。100年以上の歴史を持つ2門の古い大砲は、戦略的な高台に配置されている。ここに立つと、広大な霧鹿村、霧鹿渓谷、そして遠くに連なる中央山脈の起伏を見渡すことができる。壮観な景色と風雪に耐えた大砲の砲身は、悲壯な抗日闘争の一節を物語っている。日本の植民地時代、山中に散在するブヌン族の集落を一元的に統制するため、日本当局は厳しい行政を敷き、武器弾薬を没収し、その結果、激しい衝突が勃発した。最も有名なのが霧鹿抗日事件である。1927年、日本は新武から霧鹿までの関山越嶺道を造り、日露戦争で捕獲したロシア製の大砲を運搬し、高地に霧鹿砲台を設置してブヌン族の抵抗を弾圧した。当時、近くのサコク(大巒)とマタンゴコロロ(摩天)にも砲兵陣地が設けられた。第二次世界大戦の終結と日本の無条件降伏により、他の2カ所の砲台は時の流れに消え、霧鹿国小の裏に立つこの2門の百年の大砲だけが残った。それらは美しい自然の風景に静かに耐え、ブヌン族が故郷を守るために歴史的に払った犠牲を静かに語りかけている。
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