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せんぼくこやく

2024-04-11
「素書樓」は、国学大師の銭穆先生の生前の住まいです。民国56年(1967年)、銭先生と夫人は香港から台湾に移り、外双渓の現在の地に家を建てました。母親の生養の恩を記念し、銭先生は無錫七房橋の五世同堂の旧宅内に母親の住まいだった「素書堂」の名前を、この隠居の地の名にしました。楼庭院内の一石一木、一草一木は、主人の数年の心血です。

 

銭先生は台湾時代、講学著述を絶やさずにいました。銭先生は授業中、常に気彩が飛揚とり、聴衆は中国文化の博大精深を感得し、深く感動されましたため、素書楼の講堂はいつも満席でした。

 

民国79年(1990年)、銭先生はある事情で素書楼を引き払い、ついに3ヶ月後に急逝しました。民国81年(1992年)1月6日、政府は銭穆先生を記念し、「素書楼」を「銭穆先生記念館」として開館し、台北市立図書館に管理を委託しました。民国90年(2001年)、台北市政府は「素書楼」を文化局に管理を移管しました。民国90年(2001年)12月31日、文化局は改名した「銭穆故居」の「素書楼」を東吳大学に運営を委託し、民国100年(2011年)1月1日には、委託先を台北市立大学(旧台北市立教育大学)に変更しました。

 

台北市立大学は「素書楼講堂」で中国伝統文化の盛況を再現するために、旧宅で一連の伝統歴史文化に関する講座を開催し、社会大衆に開放しています。

 

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