胡適は自由主義を提唱した先駆者で、思想面では赫胥黎やデューイの影響を受けた。自ら「赫胥黎が自分にどう疑問を持ちるかを教え、デューイ先生がどう思想を深めるかを教えてくれた」と語っている。生涯にわたって「大胆な仮説、小心な検証」や「言為に証拠を求める」という学究的方法を主張した。駐米大使、北京大学総長、中央研究院院長などの要職を歴任した、本物の胡適記念館は、胡適が晩年台湾に戻り中央研究院院長に就任した際の南港住宅(1958-1962)を転用したものである。1962年2月24日に胡適先生が逝去した後、中央研究院院務会議は「胡適先生の旧邸を胡適記念館として完全に供する」との決議を通過し、直ちに「胡適記念館管理委員会」を設立、同年12月10日に正式に開館した。1998年1月には近代史研究所の管轄下に置かれることとなった。
胡適記念館は3つの部分からなる。第一は、胡適先生が晩年に台湾に戻り中央研究院院長に就任した際の南港住宅(1958-1962)である、台北胡適故居。故居の建築、回廊、調度品などの構成は、全体的に先生の生前生活の様子をそのままに保っている。第二は陳列室で、1964年にアメリカの保険王C.V.スタアが寄贈して建立された。この部屋では、胡適先生の著作、原稿、写真、遺品や記念物、そして台湾での記録映画などが展示されている。第三は胡適墓園である。墓園の区域は1974年に「胡適公園」として整備され、公園には丘を拾級而上、曲がりくねった歩道が樹木に囲まれ、山林の静寂な景色が広がっている。開園以来、国内外から多くの人々が訪れ、墓園を訪ねると同時に、登山や景観を楽しみにしている。