張芳杰校長は1948年に楊梅の地元の人々からの信頼を受け、楊梅高校を設立した。地元の紳士たちと協力し、自助努力によって学校を建設し、初代校長に任命された。その後、桃園南部に楊梅高校の中学校分校を8校設立し、地域の教育の基盤を築いた。学校設立初期は容易ではなく、毎日6時間目の授業の後、全校の教職員と生徒が労坑渓から石を手作業で運び、自分たちのキャンパスを築いていた。この共同作業は彼らの絆を深め、初期の卒業生にとっての共有の思い出となった。「楊梅物語園」の再生は、卒業生が自助努力による学校建設の精神を再体験できるだけでなく、客家の人々の文化遺産と教育への献身を展示し、観光客が楊梅の独特な地域文化を探求する価値のある体験となっている。
人材育成への愛と献身に満ちた校長官舎は、戦後に建てられ、東洋と西洋の要素を融合させたエクレクティックスタイルである。外観は荒い石を多用し、美しいラインを作り出している。室内は約50坪で、居間、書斎、主寝室、子供の勉強部屋、共同スペースを備える。特に「学生寄宿舎」は、移動に不便な学生や貧しい家庭の学生に宿泊を提供し、張校長の家族と共に食事や勉強を共有できるようにした。夏休みには、この寄宿舎が入試の問題作成の場として使用された。この空間は重要な歴史的価値を持つ。
校長官舎のすぐ向かいにある夕照路は、かつて楊梅高校の教職員のための宿舎であった。もともとは各ドアと窓が1世帯に対応し、計9世帯が住んでいた。現在、夕照路はアート展示や多目的パフォーマンスのスペースとして再利用され、楊梅と客家の文化芸術遺産を促進している。