台湾・玉里町中明村文生巷内に位置するこの寺社は、諸葛亮(しゅがせつ)を祀る台湾唯一の廟であり、日本の植民地支配下の明治34年(1901年)に地元住人石天甫(せきてんぷ)が自宅の一間で道教の三清(さんせい)、つまり太上老君・元始天尊・霊宝天尊に対し信仰を行い、「明徳堂(めいとくどう)」と名付けたことに遡る。この廟は奇抜な占いの的中率により次第に地域の信仰の中心へと成長してゆき、台風大正13年(1924年)に旧来の社殿が簡素すぎてスペース不足であるとして、信奉者によって新築が唱えられ、諸葛孔明(しゅがこうめい)や宣天帝(せんでんてい)など新たに祭られる神が増えることになった。旧築が老朽化したため他の土地に新築を建設した。地元のいくつかの土地所有者からの土地寄付を受けて1979年、「求師宣紀寺(きゅうしせんきじや)」として改称・新築された。
寺院の見どころには、境内の正面玄関前に、高さ36フィートの諸葛孔明像が右側にある。この像では、孔明が右手に羽扇を持ち、左手に書冊を持っている様子が描かれている。これはアシア全域で最も高い孔明像であるとされている。「隆中台(ろうちゅうだい)」と名付けられた境内の先には、劉備の三顧の礼を表現した像が飾られており、二階堂内には『武聖(ぶせつ)』といわれた関羽将軍を祀る祭壇があり、9フィートの高さから威厳を放つ像が奉安されている。下階の本殿では諸葛武侯と宣天帝を崇拝している。