庄廷與の原籍は福建省漳州市南京貴陽郷。曾祖父の庄超欣は1756年に台湾へ渡り、父庄元注は1851年(咸豊元年)に双渓に定住し、農耕と学問を兼ねた家を興した。庄廷與は1877年(光緒3年)に秀才となり、1888年(光緒14年)に廩生となった。日本軍を避けて1895年(乙未年)に漳州へ戻り、1901年(光緒27年)に当地の郷試を受験し、その後双渓で余生を送った。秀才になってから自宅近くに「梅竹園」という私塾を開き、儒家の経書を教授し、人材を育てた。日本時代には地元で「清の遺老」と呼ばれた。兄の金波も貢生となり、兄弟とも学業で名声を得たため、「庄貢生」の家は地域の歴史発展・伝統的な儒教教育・文化向上と密接に結びついている。この百年住宅は典型的な閩南様式の建物で、今も双渓区に人が住み、構造はほとんど変わらず、内壁も現代的な装飾を施しておらず、原石の積み方がそのまま現れる。外壁の彫刻は歳月を経ても鮮明で、特に左側の「山茶花の浮き彫り」は富の開花を象徴し、保存状態も良く見応えがある。庄貢生の家屋は「山茶花庄教育農場」と向かい合っている。