四方を海に囲まれた澎湖は天然資源に恵まれている。日本統治時代に日本人は魚の加工技術を導入し、低価値の漁獲物を加工技術によって製品化し、台湾本島や海外に流通させたことで、澎湖の漁業の発展を後押しした。「魚干倉(魚を干すための窯)」はこの経済的背景の中で重要な建築様式となった。民国50年(1961年)、澎湖の伝統的な漁業は最も発展していた。資源環境の変化、技術革新、市場需要の変化により、漁業の隆盛とともに「魚干倉」が林立し、港湾沿岸や村の中にその施設が見られた。季節的に獲れる臭い魚やクローブフィッシュが主な漁産物だった。村の女性たちは魚干倉で獲物を処理し、まず塩水に浸して洗い、円形のざるに水を加えて蒸し、天日干しして台湾本島や日本に輸出した。1970年代以降、魚の資源減少、市場需要の変化、人口の流出により、伝統的な魚倉は衰退し、それに伴う建築物も荒廃していった。魚干倉を中心にあらゆる世代がにぎわっていた光景は、高齢者の記憶に鮮明に残っているが、倉の構造が老朽化するにつれてその姿は色あせていった。
2017年7月、白沙郷公所と地域のコミュニティ発展協会の共同の取り組みにより、「後寮三巴垵魚干倉」が修復・再開された。この復活は、100年の歴史を持つ倉を保存し伝えることを目的としている。倉の再登場は、古参の村民にとっては懐かしい思い出を呼び起こし、将来の世代にとってはかつての漁村の生活様式を知る手がかりとなり、教育的意義と、周辺の観光資源を結びつけて白沙の観光業を活性化するビジョンを担っている。白沙後寮の旧港に位置する三巴垵魚干倉は、隠れた名所「天堂路」の隣にある。天堂路を訪れる旅行者は、ぜひ寄り道してこの伝統的な倉の構造を体験してほしい。魚の加工施設のほか、この場所では澎湖の浮き樽やリサイクル材を巧みに活用し、4体の等身大の人形を作り、それぞれが倉での伝統的な作業を描き、歴史的な作業風景を生き生きと再現している。近くの珊瑚の浜辺には、絵が描かれた漁船が倉の横に停泊している。この船は歴史的な倉を象徴的に結びつけるだけでなく、澎湖の明るい日差しの下、青い空・白い雲・砂浜と鮮やかにコントラストをなし、澎湖で最も美しい景色の一つに数えられている。
【推奨滞在時間】0.5時間