関渡の原名は甘豆門で、観音山と大屯山に背を預け、淡水河に面しているため、地勢が険しい港となり、昔の先民が関渡の埠頭から入って台湾北部の開墾地に移住することとなり、関渡の開発はかなり早い時期から行われていた。しかし、その後、2つの河口(基隆河、淡水河)で泥沙が堆積し、水運は次第に衰退していった。
関渡の埠頭は関渡自然公園と関渡宮の傍に位置しており、休日や夜になると、観光客が関渡の埠頭周辺で散歩をしたり、休息を取ったりしている姿が見られる。また、多くのサイクリングをする人々が八里から関渡大橋を経由してやって来たり、淡水からやって来たりと、沿線の風景は美しく、景観を楽しむには最適な場所である。