「昇平劇場」は1916年に旧市場の隣に木造の劇場舞台として発足し、主に歌仔戯を上演し、約300~400人を収容できた。1927年に老朽化で倒壊し、経営者は1934年に同地に再建し、土地約200坪を占める日本統治時代台湾最大の劇場となった。しかし、九份の深刻な人口流出により1986年に閉鎖された。独特の建築様式は「悲情城市」「少年吔、安啦!」「等一個人咖啡」など多くの映画の撮影地として人気を博し、名シーンを生んだ。台湾北部最古の劇場であり、九份観光の必見スポットでもある。建設当初は木造だったが、1960年代に空心磚の壁に改建され、周辺の家屋も日本統治時代に建てられた。芸術関係者に人気の場所として、新北市政府文化局と観光局が歴史的建造物を修繕し、映画館としての機能を復活させた。現在、館内には呉家が寄贈した旧式の映写機が展示され、九份民俗芸術館の頼氏が1950~60年代のセットを再現し、古い劇場にタイムスリップしたような体験ができる。運営は新北市立黄金博物館が担っている。