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瑞芳風景特定区

2022-12-05
886-2-24972250
新北市瑞芳區汽車路89號
瑞芳区は新北市の北に位置し、海に面した風景地です。かつては鉱業が最も重要な産業で、九份や金瓜石の金山、侯硐(こうどう)の石炭鉱が有名でした。その後、鉱山の資源が枯渇し、町は衰退しましたが、映画や広告がこの地をロケ地に選ぶようになってから、伝統的な町並み、山の静けさ、美しい海の景観が再び注目され、何万人もの観光客でにぎわうようになりました。 黄金山城・金瓜石 金瓜石は金山の産出で知られ、本山の露出部分が大きなカボチャのような形をしていることから「金瓜石(きんかせき)」と名付けられました。特殊な地質と鉱業の文化的景観、金山採掘時代の建物、廃坑、坑道、道具、記念碑などが、20世紀前半の東アジアの鉱業経済活動と植民地の歴史、そして地元の貴重な文化的景観を記録しています。金瓜石は三方を山に囲まれ、一方を海に面し、豊富な鉱物資源を持っています。この地域は基隆火山群に属し、東と北は太平洋に面し、西北は大屯火山群に接し、南は五分山群や鶯子山群とつながっており、山と海が交差する自然地形が特徴です。 懐かしの老街・九份老街 九份老街は金山採掘で栄え、「小上海」「小香港」とも呼ばれました。陸路が開通する前は、物資の供給はすべて海路に頼っていたと伝えられています。村には九軒の家しかなかったため、買い物に行く際に「九份(きゅうぶん)」を用意する必要があったことから、この名前がつきました。九份は鉱業の衰退とともに寂れましたが、1989年に映画『悲情城市(ひじょうとし)』がベネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、再び世界の注目を集めました。かつてにぎわった老街、廃坑、独特の鉱区風景と砂金採取の歴史が、アーティストや観光客を惹きつけ、この悲情の町に潜む深い人間味を味わう人が後を絶ちません。「春は雲、夏は海、秋は芒(すすき)、冬は霧」は九份の四季の風情を表す言葉で、いつ訪れても異なる季節や時間帯の自然景観を楽しむことができます。 黒金の故郷・猴硐(こうどう) この地域の基隆河の両岸には、高さ約20メートルの懸谷(けんこく)があり、荘厳な地形をなしています。地名の由来は、かつてこの地の崖の上に猿が住む洞窟があったことから「猴洞(こうどう)」と呼ばれていました。その後、石炭鉱業が盛んになり、坑道内では水が最も忌避されたため、「洞」から「硐」に変えられ、「猴洞」は「猴硐」となりました。猴硐は石炭で栄えた町でしたが、鉱業の衰退とともに静かに寂れ、年月が刻んだ風格のある美しさが残っています。猴硐の石炭産業の歴史を伝えるため、猴硐石炭博物園区が設置され、訪れた人々はかつての鉱山労働者たちの生活を体験することができます。 瑞三鉱業選炭場と瑞三運炭橋は、猴硐駅と基隆河の近くに位置し、瑞芳区の鉱山王・李建興(り・けんこう)によって経営されていた黒い建物です。最盛期には、石炭の生産量が台湾全体の約7分の1を占め、当時台湾一の鉱山会社でした。瑞三アーチ橋は基隆河を横断し、復興坑と瑞三選炭場を結んでいます。介壽橋(かいじゅうきょう)から石礎(せきしょ)の上にそびえる瑞三アーチ橋と、基隆河に映るその姿を眺めると、力強さと優雅さが同居する美しい景観が、猴硐地区の象徴となっています。
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