惠済宮の山の麓には、草原のような広場が広がっており、そこには模型の羊群が置かれています。まるで先民がここで羊を飼っていたかのようです。階段を上り、林間の道を進むと、薄暗く感じる場所で、岩壁にはコケが生い茂り、古い雰囲気を醸し出しています。途中で石のアーチ門を通過し、芝山の歴史的遺跡を垣間見ます。その後、道が開けていき、曲を過ぎると、豁然と開放的な広い道となり、平坦な道路が広がっています。そこには、恵済宮が建っています。
漳州の人々が士林に移住すると、彼らの守護神である「開漳聖王」をもたらしました。伝説によると、芝山はもともと黄善という富豪の土地で、約200年前、漳州府平和県の親戚である黄澄清が、開漳聖王の香火を台湾に持ち込み、芝山に掲げたところ、奇跡が起こりました。人々が力を合わせて資金を調達し、1752年に恵済宮を建立しました。その後、観音仏を祀ることから芝山巖寺と呼ばれるようになりました。1840年には、士林の士紳である潘永清が芝山巖に文昌祠を建立し、老師を雇って子弟の教育を行いました。1874年には、3つの寺院が統合され、以降は恵済宮と呼ばれるようになりました。
現在、恵済宮を訪れる人々は、多くが試験の合格を祈願に来ます。そこには「文昌筆」と呼ばれるお守りがあります。伝説によると、「文昌筆」を触ると加護が得られるということで、親たちは子供を連れてきて文昌筆を触れ、試験の合格を祈願しています。