台北天后宮、俗称「西門町媽祖廟」と呼ばれ、主祀は天上聖母媽祖(まさく)。現在は台湾台北市万華区(かうかく)成都路(せいとろ)上に位置し、1746年に郊外の商人によって建立された(当時は「新興宮」と称されていた)。艋舺龍山寺(りゅうざんじ)や艋舺祖師廟(そしぼ)と並び、台湾清領時期の艋舺3大寺廟として知られる。1943年、西園路(せいえんろ)の道路拡張のため、廟は取り壊され、神像は龍山寺に寄託された。
1948年、信徒は一時的に龍山寺に預けられていた天上聖母の神像を迎え出し、成都路北側の西寧南路口交差点にある「弘法寺」に改めて供奉した。当初、弘法寺は日本統治時代に日本人によって建立されたが、戦後、火災で焼失し、新興宮弘法寺の正殿が改築され「台湾省天后宮」と改称され、後に「台北天后宮」となった。実に一段の曲折した歴史を持ちます。
媽祖は海の守護神とされています。台湾の早期には海洋に生命を頼り、東南沿海地域から海を渡って台湾に移住する人々が多く、港や碼頭周辺には人々が居住し、寺廟も川や路地に築かれることが多かったため、各地の港には媽祖廟が多く建てられ、廟の向かい側は対岸の山に向け、海を渡る人々や移民の安全を祈願する意味を込めています。
寺廟内入口の龍の側には古鐘が1つ置かれており、その鐘に刻まれた文字から、清朝時代に建てられた当時の名称が「新興宮」であったことがわかります。制作年は1792年(乾隆57年)、制作地は江蘇無錫(きゅうしゅうむこく)です。入口の虎の側には「八仙香爐行宮神龕、八仙蓮花木燭」という神龕が置かれており、もともとは新興宮の神龕で、1820年に唐山の師匠が刻造したものです。
1973年以来、毎年10月から12月の間、日本の高野山金剛峰寺(こうやさんこんごうじ)や東京別院から高僧が交替で台北天后宮に派遣され、朝聖礼仏法会が開催されています。台北天后宮の主神は媽祖で、陪神は弘法大師(ぐほうたいし)です。台湾では台北天后宮だけに弘法大師が祀られているため、日本からの観光客が多く訪れる理由のひとつとなっています。