南征廟は、『彰化県志』によると、乾隆帝37年(西暦1772年)に福建省漳州府南靖県から来た漢人の商人および住民によって創建されました。位置は、王爺宮(神の宮)に隣接し、主に関羽を祀っています。(石碑は南征廟内に保存可能です。)福建省南靖からの漢人商人は、祖廟から関羽の神輿を奉請し、鹿港の港辺(現在の廟の場所で、かつては筏船の停泊地であった)に初期の廟を建てました。当初、この廟は台湾に移住した漳州出身の漢人専用の信仰の場でした。後に、漳州出身の漢人が内陸へ移住するにつれ、現在では民族を問わず、すべての地域の人々によって崇拝される関帝廟となっています。南征廟は主に関羽(廟では降魔大帝と尊称)を祀り、脇を固める神々として、関平太子と周倉将軍を左右の護法とします。また、文昌星、謝元帥、馬先生、日行千里の赤兎馬、重さ81斤の青龍偃月刀、そして諸将軍や役人たちも祀られています。関羽は、字を雲長(もとは長生)、三国時代に東川の解県出身で、忠誠・孝行・潔さ・義理を重んじ、桃園で劉備・張飛と義兄弟を結び、千古にわたって称えられています。関羽は五文昌の一人であり、儒教では文昌聖帝として尊崇されます。史書に「山東一人が春秋を作り(孔子)、山西一人が春秋を読む(関羽)」と記され、関夫子・西夫子とも呼ばれ、「亜聖」「亜賢」として、文筆・武略ともに優れ、士人の神として、学問と士人の守護神として祀られています。