広安宮は創建が非常に早く、台湾全島の開漳聖王廟七十有余りの中でも最古の部類に入り、今も多くの古文物が残されている。特に注目されるのは、一対の小さな石獅子の燭台で、その独特な形状は現在ではめったに見られない。伝承によれば、これらは創建当時のもので、二百年以上の歴史を持つ。
神殿では、透かし彫りの金龍が煌めく荘厳な空間の中央に、赤ら顔で長髭をたくわえた開漳聖王が威厳ただならず座している。左右には、符順・符信の両将軍が印を捧げ、剣を携え、荘厳に立つ。左壇には、手に燭を持つ関聖帝君が祀られ、その義は雲に届くという。右壇では、村を守る土地神が温和で優しい姿で鎮座している。
日本の大正時代(1912~1926)、開漳聖王の二太子像(亀にまたがる将軍像)は、劍頂聖王廟(内湖碧山巌開漳聖王廟)にお目入りの儀式のため勧請された。儀式終了後、信徒たちは太子像を小さな神輿に納めて金包里街の廟へ戻そうとしたが、神輿は突然廟を飛び出し、姿を消してしまった。慌てた信徒たちは山や谷を越えて本廟へ急ぎ、公館崙(万里の磺潭里と金山の五湖里の境、亀山のそば)を通りかかったところ、通行人から「先ほど神を載せた小さな椅子が頭上を金包里街の方へ飛んでいった」と聞いた。廟へ戻ると、二太子像と神輿は既に祭壇にあったため、奇跡と歓声が上がった。現在でも、毎年公館崙の廟祭りには、二太子を同地へ迎えて祀っている。