aeeble

account_circleログイン

新南老街

2025-10-22
886-3-3882201
もし平和老街が今もなお歌い継がれるメジャーなメロディーであるなら、新南老街は大溪の地下インディーズ音楽だ。活気に欠けながらも、独特の芸術・文化の空気が漂い、一度出会えば忘れられない異彩の魅力を放っている。これはアート好きのための体験であり、古い路地で心がふっと熱くなるノスタルジーの瞬間である。あなたの訪れと耳を待っている。 新南老街、別名中山路老街は、平和老街からわずか500メートル。平和のにぎやかな商業に対し、新南は清末から日本時代にかけて政・経・文化が融合する高級住宅街だった。清の墾務総局、日本の出張所・郵便局・小学校・公会堂・武徳殿(孔子殿)などが集結し、まるで現在の台北「博愛特區」のような場所だった。裕福な商人簡阿牛、日本商人加藤甚之助、秀才呂鷹揚(举人)らが名門として君臨し、片側の奇数番地は富豪の屋敷、偶数番地は労働者の住まいや倉庫・民家と、一筋の路地に貧富のスペクトルが凝縮されている。 平和老街と比べ、新南の建築立面はより宏大で豪華な意匠を誇る。中西折衷のバロック様式が競うように派手さを増し、門構えはまるで注目を争うかのようだ。最も目を奮わせる「成郊貿易商行」は簡阿牛の洋館で、ローマ字表記の屋号、中央の銅張りドーム、左右対称の山牆、西洋風の双柱、通常の3倍の店幅が財力を誇示する。隣の「永春」「咸記」は呉家の邸宅で、山牆に羽を広げる孔雀や、鯉・獅子・琴棋書画・吉祥文様、そして意匠を模倣されぬよう完成当初は帆布で覆われたという意地の細工が施されている。 他にも「武翼遺範」「龍塘世第」など、故郷への郷愁を込めた家号が並ぶ。名門は凋落し、後継者は大溪を離れた。今は立面と門楼だけが、かつての栄華を黙って見つめている。次に大溪を訪れたら、中山路にそれてみてほしい。物語に満ちた一軒の家に足を踏み入れ、かつての大溪の華やぎを再発見してみてほしい。
画像
評価
関連リスト
コメント