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鉱山労働者宿舎

2024-08-15
886-2-24974143
ほうどう炭鉱の全盛期には、数えきれない鉱山労働者の家族が移り住んだ。会社の社宅は「寮仔」と呼ばれ、ほうどうの中には今も「内寮仔」「三座寮」「五座寮」「番仔寮」「煤園厝」といった労働者用のバラックが残っている。ほとんどが木の板で仕切られ、壁の小さな穴に取り付けられた一つの電球ソケットが二戸で共用し、台所・洗面所・トイレは共同だった。外見は二階建てに見えるが、内部は三層に分かれており、一つの窓の奥にひとつの家族が雑居していた。最盛期には千人以上がこの社宅に住み、子どもたちは勉強も寝ることも食事もその窓枠の中で済ませた。政府の閉山命令で人口は一挙に減り、沈黙した社宅だけが後の世代に鉱山労働者の生活を語りかけている。
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